コラム
スタッフコラム

先週末体調を崩して寝込んでしまい(発熱はしてないのですが)火曜日には元気になったのですが昨日からぶり返してしまって、コンディションが良くない中での活動になってしまいました。
自分の体調や感情の変化には敏感に気づくように心がけていたのですが、一度体調を崩すと判断力が鈍ったり作業効率が下がるだけではなく、座って話を聞くことすら辛くなってしまうのだということを実感しました。今回の失敗を肝に銘じ、今後はより一層体調管理を徹底していこうと思います。
今日は、フランスで買春処罰法を導入した元国会議員のモード・オリビエさんの講演に参加しました。
オリビエさんがおっしゃっていた、「自由と自由主義はことなるものであり、性売買制度の根底にあるものは経済的自由主義である」という言葉がとても印象に残っています。
中高生の時に所属していた学術コミュニティの人たちとジェンダーに関する話をした際に、「ここにいる人たちは、ジェンダー平等は既に達成されていてジェンダーギャップや女性が社会で不条理な立場にあることを『自己責任』だと捉えているのではないか。」といった印象を持っており、その人たちの主張と私の思考の根底にある、絶対的な違いは何なのか、ずっと考えていました。
「自由というのは相手の自由を侵害しないこと」といった言葉を聞いた時に、彼らの定義する「自由」が経済学的な自由主義に基づいているのだとしたら、性別を理由に女性の「自由」が侵害されている今の状況をみても、彼らにとってはこの状況は「自由」であるのではないかと考えました。
性売買の話題が会話の中で挙がる際、私は性を商品化することは暴力であると伝えているのですが、多くの人は性売買を必要悪だと捉えていたりワーク論に近しい考え方をしていたりすることから理解されにくいことがあります。彼らの話を聞いていると「自由」という言葉が出てくることがあり、その「自由」は履き違えられていたのだと実感しました。
また、韓国の反性売買活動家のイ・ハヨンさんのお話の中で支援機関の相談員のあり方として、「支援機関で働きながら、社会福祉士であり、『活動家』としてのアイデンティティを持つ」といったことが述べられていました。
若年女性支援者講座や夢乃さんの著書で、女性が行政や民間の相談窓口に助けを求めた際に相談員やソーシャルワーカーの対応が悪く、女性が孤立を深めていってしまうといったことを知り、心を痛めていました。
でも大学で福祉を学ぶ中で同級生や先輩の様子を見ていると、やはり助けを必要とする女性に対する解像度が低かったり誤った認識や偏見を持っている人が少なからずいました。女性が生きる上での困難の構造をきちんと理解した上で女性への支援に特化したソーシャルワーカーの存在が必要なのではないか、と考えるようになりました。
ハヨンさんが仰っていたような相談員、ソーシャルワーカーを増やし、民間であれ行政であれ、女性が安心して然るべき機関窓口を頼れるようにしなくてはならないと強く思うと同時に、もし私がソーシャルワーカーとして働くことになったら、どこで働くにしろ、「この人になら話せる」と思って貰えるような存在にならなくてはいけないと決意を改めました。
そして同じ志を持ったソーシャルワーカーの連帯を作っていかなければならない(あるのであればそれを強固なものにする)と感じました。(学生インターン yasuda)














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