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女性人権センター

Colaboでは今、女性人権センター建設プロジェクトを計画し、ご寄付の呼びかけをしています。
次回以降、この対談では、趣旨に賛同する女性を中心に結成した1000人委員会のメンバーとColabo代表の仁藤が対談しながら、なぜ今、女性人権センターが必要なのか、性差別の現状を見つめていきます。今回はその対談に先駆けて女性人権センターとはいったい何なのか、どんな思いで作ろうとしているのか、仁藤とスタッフの村田が一緒にお話していきます。
村田:Colaboは2011年に活動を始めてから今年で15年目を迎えていますが、女性人権センターの構想はいつ頃からあったのでしょうか?
仁藤:2014年頃にはありました。その時から1階にカフェがあって、少女たちが来れるような場所があってゴロゴロできたり、相談もできたり、衣類や生活用品をもらえる場所があったり、シェルターも付いていたり、いろんな人が出入りしながら少女の人権が守れるような場所ができるといいなって。その時は、「いつか実現したい、でっかい夢」と思っていたんですけど、いよいよ踏み出します。
村田:当事者たちで必要なことを形にしてきたのが、Colaboの活動ですよね。Colaboは、『すべての少女が「衣食住」と「関係性」を持ち、困難を抱える少女が搾取や暴力に行き着かなくてよい社会』を目指して活動していますが、これまでどのように活動を作ってきたのでしょうか。
仁藤:Colaboは、私自身が10代の頃に家に帰れなかった経験から、私が大学生だった2011年に立ち上げました。2013年に私が大学を卒業する時に『難民高校生』(英治出版、ちくま文庫)を出版し、自身の高校時代の経験や、Colaboの活動についてまとめました。大学を卒業してからColaboの活動一本でやっていこう。でも、その時はお金も全然なくて、いつもスーパーで100グラム42円の「胸肉の日」にまとめ買いして冷凍して、それを食べながら活動していました。その後、だんだん支援者が増えてきて、少しずつ活動を支えるお金をいただくようになったり、スタッフを雇用できるようになったりしていきました。
2013年に、渋谷で夜の街をさまよう少女たちへの声かけと、その子たちが立ち寄れるスペースを作りたいと思い、「Colaboスペース」というのを立ち上げたんです。でも、そこは泊まれる場所ではなかったので、家に帰れない少女たちを自宅に連れ帰って泊めることを続けていたんです。だけど、それだけではその子たちも遠慮する。それに、もっといろんな人が関われるような場にしたいと思いました。当時も、自宅に関心を持ってくれる人や支えてくれる人、友達も来てくれて、一緒にご飯を食べたりしていましたが、もっと広い、開かれた場所が必要だと考えていました。
2014年には、JKビジネスの実態を告発する『女子高生の裏社会』(光文社新書)を出版しました。当時、出会う少女たちが秋葉原を中心にJKビジネス(今ではそれがコンカフェ、コンセプトカフェという形で残っていますが)という、女子高生を売りにして性的に搾取したり、「JKお散歩」「JKリフレ」という名目でマッサージ店や観光案内のフリをして少女たちをネットカフェに連れ込んで客と性行為させることが、秋葉原、池袋、渋谷、新宿などに溢れていたんですね。
一番多い時には、都内で174店舗あったと警察が発表しています。当時は、制服を着た女子高生とおじさんが腕を組んで歩いていることが当たり前にあるのに、それに対して大人社会から問題視する声が全く上がっていなくて。私たちが、繋がる少女たちがそこで被害に遭っていたので、その実態を本で告発したんです。
そこからColaboは性売買業者に目をつけられて、様々な嫌がらせや脅しを受けるようになりました。その後も当事者と声を上げる度に、嫌がらせが強まります。例えば「私たちは『買われた』展」という児童買春の実態を伝える企画展を2016年にやった時にもすごく激しくなっていきました。
2015年には、少女たちが夜間でも自らで駆け込めるシェルターが必要であることから、初めてクラウドファンディングを実施して、数百万円のご支援をいただき、一時シェルターを開設しました。それが日本初の、夜でも少女たちが駆け込めるシェルターになりました。
児童相談所は平日の日中しか開いていなくて、だけど家に帰れない子たちが困るのって土日や夜間のような親が家にいる時間なんです。だから、そういう時に駆け込める場所にしたいなと思って活動してきました。
村田:当時から、市民の方からのご寄付に支えられてきたんですね。
仁藤:そうですね。当時は今以上に、少女たちの性搾取の実態や、虐待を受けていた子が児童相談所に駆け込んでも助けてもらえないことが知られていなかったし、街にいる子や性搾取の被害にあっている子は「家出少女」「体を売っている少女」として非行少女として捉えられていたんです。そんな中でも、私たちがその実態を発信して、それに賛同して応援してくれる寄付者の方に本当に支えられて活動を続けてきました。
村田:私がColaboの活動に関わるようになったのがその数年前になるのですが、シェルターが…なんて言えばいいんですかね。
仁藤:レトロな(笑)
村田:そう、レトロというか。みんなでご飯を食べている感じの写真を見ても、みんなご飯を囲んで楽しそうに、こう…ちょっと狭いんですよ。ぎゅうぎゅうな感じで。(笑)
仁藤:元々ラーメン屋をやっていた狭い店の商店街の中にある店舗を借りて、1階と2階があって、1階にはカウンターテーブルを置いて家具家電も安く買い集めてきて、それでカウンターを作って1階でご飯を食べられるようにしたけど、狭かったですよね。
村田:狭かったですけど、距離が近く話しやすくもありましたし、カウンターテーブルからちょっと離れたところにソファもあって放っておいてほしい子は放っておいてくれる、みたいな。
仁藤:そのソファも取り合いで、一つのソファに二人の子が寝ていることもあった。2階が泊まれるようになっていて、そこに緊急保護のような感じで中高生が来る事もあるし、家で安心できない時に「泊めて」と来ることもありましたね。そういう空間がColaboらしい。話したい子は話せるし、放っておいてほしい子は、スマホをずっと触っている。何かトラブルに巻き込まれている子がいると、みんなが真剣に相談に乗ったり、私にすごく指摘されて怒られている子もいたりして。そんな雰囲気でした。
村田:そういう空間がすごく素敵だなと思いながら、私も見ていました。
仁藤:地域の商店街の中に開設したのは、日本だとDVや虐待の被害を受けた人たちが常にこそこそ隠れて生活しないといけない状況があって、今でも「加害者にバレないように静かに生活しなきゃ」という感じで孤立していく状況があるんですけど、それを変えたかった。開かれた場所に私たちがいることで、少女たちが自ら駆け込んで来られるようにしたいと思ったし、地域の人と関わりながら暮らしを作っていけるようにしたいと思ったんです。住所も公開して「ここにいるよ」と少女たちに伝えたかったんです。そのために、地域の目があること、地域の人たちとの関係性の中にあることで、安全を守れればと思いました。だから、商店街のなかでシェルターを始めたんですが、活動を始めてすぐに性売買業者に囲われている子を逃すのを手伝っていたので業者からの脅しや、性虐待をしている加害者の父親からの脅迫もあり、住所が公開されてしまうと少女たちの安全を守れないため、Colaboと繋がっている子たちにだけ場所は教えるという形にしていきました。
村田:その後、中⾧期シェルターやアパートの開設など、少女たちが住める所をどんどん増やしていったのはどうしてでしょうか?
仁藤:一時的に泊まれるシェルターを作って、児童相談所や役所に一緒に相談に行ってその先の生活や住まいについて力になってほしいと言っても、特に虐待を受けてきた子、その中でも性売買の被害にあった子たちは、児童相談所や福祉機関から「悪い子」として非行少女のように扱われて、そういう子たちを受け入れる施設が本当になかったんです。特に家出と性売買の経験がある子は、行き場がない。そういう生活をしてきた子たちは精神的にも身体的にもすごく傷ついているから、健康状態が悪く、いろいろなケアが必要ですが、そういう人ほど支援がないということで放り出されるし、18歳未満の子たちで児童相談所に行きたくない子がColaboに相談してくれても、その先の選択肢がなかったんです。
今でも街で出会う子のほとんどが、「児相には行きたくない」と言います。児童相談所の一時保護所には、大人が管理するためのルールがいっぱいあって、私物を下着ですら持ち込めなかったり、ピアスを開けている子もアクセサリーを持ち込めないから耳がふさがったり、⾧いと1、2ケ月、1年以上、次の暮らしの場が見つからず、そこにいた子もいるんですね。その間、基本的には学校にも通えない。
ルールは児童相談所によって違いますが、新宿の児童相談所の一時保護所では、私語禁止のルールがあって、それを破った時に罰として体育館を100周させたということがかつてありました。お風呂に入るときも集団だし、毛を剃りたいと言っても、職員の人が見ている前でならいいとか、その許可をもらうだけでも大変で。カミソリを使うのは危ない、自傷行為をされたら嫌だといわれる。私物を持ち込んでいないか、あざがないかチェックするといい、全裸にされてチェックされたりする。だから、「二度と行きたくない」という子がすごく多いんです。
当時は児童の保護について、民間への委託はほとんど実践されていなかったので、Colaboのシェルターにいる間に児童相談所とも連携しながら先の居場所を探せるように、児童相談所からColaboに一時保護を委託してもらうことも切り開いてやっていきました。でも結局、児童相談所と関わっても、その先の住まいが本当に見つからなくて、何の支援もないアパートに放り出されてそのまま孤立したり生活破綻したりしてしまうことも多かった。それなら、みんなで一緒に生活をしていけるような場所を作ろうと思いました。
当時はまだ成人年齢が20歳だったので、児童相談所の支援が18歳で切れた後に18歳、19歳の子たちの行き場が全くなかったんですよ。自分でアパートも契約できない年齢だったから、そういう子たちが初期費用なしで、家賃や利用料も3ヶ月無料にして、その後は水道光熱費含め3万円でWi-Fi付き、お米も食べ放題にして、その先のことを考えていけるように中⾧期シェルターを作りました。一つの物件に3人暮らせるようにしたんですけど、それがあっという間に埋まっちゃって。
だから、クラウドファンディングで次々と物件を買ったんですね。300万円、400万円で物件を買いました。前に住んでいた方の遺品がそのまま置いてあるような物件を交渉して安く買わせてもらって、遺品の処分も自分たちで、女の子たちとも一緒に運び出したり、捨てに行ったり、改装も自分たちでやりました。そのための資金も市民の方のご寄付や民間の助成金に支えていただいて、最終的には5物件、15部屋に増設しました。
村田:改めて児相の対応を聞いて、すごく支配的というか、確かに行きたくないよねと思いますし、その後の放っておき具合から、どうでもよさげに扱うというのが見えるます。そんな中で、駆け込める場所、住める場所があることは、女の子たちにとって安心につながりますよね。
仁藤:家を借りるときって、緊急連絡先や保証人を求められるじゃないですか。成人年齢が18歳になった今でも、安定した仕事には就いていないし、頼れる家族もいないと、家を借りることすら難しい。Colaboの物件は、家族を頼れない状況にある子たちでも保証人なし、初期費用なしで住める家として運営してきました。
村田:2022年以降、Colaboに対するデマや誹謗中傷の影響がすごく深刻になり、中⾧期シェルターも妨害の影響を受けて一時的に閉鎖になりました。Colaboが攻撃されるのはどうしてでしょうか?
仁藤:この間の妨害を通して実感しているのは、Colaboが攻撃されるのは、当事者と繋がって性搾取や性売買の実態をみんなで表に出した時なんです。そういう実態を知られたくない人たちが、攻撃してくる。性売買業者はもちろんなんですけど、それだけじゃなくて、そこで利益を得てきた買春者たちや、少女や女性がいるお店で飲むのを楽しんだことのある男性ってこの世の中に溢れているから、特別やばい人が攻撃してくるというより、男社会全体からの攻撃ということだと思っています。私たちがそういう男社会の構造を変えようとしていることへの危機感が、男社会の中で権力を得てきた人や、少女をいたぶることを楽しんできた人たちにあるんじゃないかなと思いますね。
村田:Colaboのような活動が必要だと、国が認めて法的に位置づけようとしたことに対する反発も大きかったですよね。
仁藤:2022年に「Colaboの会計不正」というデマや誹謗中傷がこれまでにないほど盛り上がったのは、その年に厚労省が女性支援法という法律を作ったことが影響しています。2018年から私もその法制定に厚労省の検討会の委員として関わっていて、会議の場でも現場から見える性搾取の実態を国に訴えました。それによって、初めて若年女性支援が法的にも位置付けられて制度化されたんですよ。そうなると、いよいよColaboがやってきたような、性搾取に取り込まれやすい若年層を支える活動が全国に広がっていく。法律がスタートするのが2024年の春からだったんですね。だから、法律が施行されるまでの2年間でColaboの信憑性を落とすことが、彼らにとって重要だったんだと思います。
実際にその攻撃により、東京都が若年女性支援事業の形を変えたり、Colaboを歌舞伎町から排除する形で妨害に屈したりしたことは彼らの成功体験になりました。その後、Colaboの代わりに東京都の若年女性支援事業に入ってきた「駆け込み寺」という団体では、事務局⾧が相談者の女性にコカインを勧めるという事件が起きたり、Colaboが排除された後に東京都がその批判を受けて作った青少年施設の「きみまも」でも結局、売春の斡旋や性加害が起きたりし、若年女性支援はぶち壊されてしまいました。
村田:あの時の妨害は、今思い返してもひどいなと思います。私も当時、バスカフェを妨害から守る「女の壁」に参加して、来た男たちを追い返す役割をしていたんですが、「女の壁」はすごいパワーがありました。一緒に活動していた女性たちは、私よりも年齢がかなり上の女性たちが多かったんですが、妨害者に対してものすごく怒っていた。
仁藤:女が怒ったらこんなに怖いんだっていうのを見せつけてくれたよね。あの時、バスカフェに性売買業者から雇われた男たちや、YouTuber、あと今、埼玉で外国人差別を扇動している戸田市議の河合ゆうすけ(当時は埼玉の草加市議)などが、バスカフェに来て「お前らフェミニストのせいで男と女が嫌いになって少子化が進んでるんや!」と叫んだり、動画を撮ったり、そういうことがすごく続いていました。それに対して、最初はカウンターの活動をしている男性たちが自主的にバスカフェを「守り」に来てくれたんですよね。でも、そこで「俺たちが少女を守る」みたいになっちゃっているのも嫌だったし、女性たちで、自分たちで力をつけて活動してきている中で、「男に守ってもらう」構図も嫌だった。少女たちを弱い存在として、男に守られるべき存在のように見せるのも嫌だったし、それはColaboの活動と真逆のことだからと、男性たちに来ないでほしいと伝えました。すると、今度は女性たちが「私たちが守る!」と立ち上がってくれて。
妨害者たちも、「ウェーイ!」と勢いよく嫌がらせに来たのに、70代の女性が前に出て「おかえりください」と言ってたら、困っちゃうみたいな感じで。
村田:タジタジしてましたよね。「えっ!?」みたいな。まさかこんなに体格の小さいおばさんから、こんなこと言われるとは思わなかった、みたいな反応をしていました。
仁藤:その後も、8回連続で妨害者たちがバスきました。彼らは女性たちに構ってもらえるということもすごく嬉しそうにしていました。そういう人たちに私たちが時間を取られてしまうと現場の活動ができないということで、女性たちが文字通り「壁」になってくれた。最初はその女性たちも「守る」つもりで来てくれたんですが、Colaboの活動や少女たちとの関係を見る中で「守ってあげる」ということじゃなくて、「一緒に闘うんだ」っていう意識になって、それで今も様々な活動を共にしてくれています。
村田:そういう女性たちの姿を見て、「こんなにかっこいいおばさんたちがいるんだ」って、バスに来てる子たちも思ってくれたらいいなと思っていました。
仁藤:バスカフェの活動は、大人がいっぱいいると女の子たちが近寄りづらいというか、大人から嫌な目に遭ってきているから、親世代やおばあちゃん世代のおばちゃんたちがいっぱいいると少女たちが近づきづらいんです。だから、今も距離感は皆さん気をつけてくれています。街での声かけを担当している若い声かけチームのメンバー(もともとColaboやバスカフェを利用していた女性たち)は、最初、大人の女性たちが「壁」としてバスカフェに来てくれた時に、あからさまに嫌そうにしていて。でも、声かけを若い子だけでしていると妨害者に絡まれて危ないし、撮影されることもあるし、その子たち自身も虐待やいろいろなことの被害者だから、身元を特定されたくない。だから若いメンバーがペアになって路上をさまよう少女たちに声をかける活動をする時に、「女の壁」の女性たちに、ちょっと離れて後ろから見守ってもらうようにしたんです。最初は、声かけチームの女の子たちも、女の壁メンバーの女性たちに「もっと離れてください!!!」とか強く言って嫌そうにしていたこともありましたが、大人たちもその意味や必要性、ふるまい方や役割分担をだんだん理解してくれて、活動のなかで一緒にご飯を食べたり、話をするうちに、みんな思いを持って活動に来てくれていることを知ったり、怒りを共有したりする経験を積み重ねていきました。声掛けチームの女の子たちが街で男に絡まれた時に、「女の壁」の女性たちが「ちょっと何してるんですか?」「やめてください」と言うだけで、ビビって男がいなくなるということもあります。若い女性が男に絡まれている時に、止めに入るおばさんって、この街には全然いないからそれだけで効果があって。そういうのを見ながら、声掛けチームの若いメンバーも、女の壁メンバーがColaboの活動を大事に想っていることや、性搾取されている少女たちにこれ以上被害に遭ってほしくないという想いで活動に来続けてくれていることことがだんだんと伝わると、女の壁のことを信頼し始めて、雑談をするようになったり移動中に今日の歌舞伎町の様子や業者の動きを話すようになりました。今は一緒に活動する仲間になっています。
村田:超仲良いですもんね。
仁藤:仲良いよね。おばちゃんと若い子たちが普通に仲良く、社会問題のことを話したり、最近の自分の状況のことを話したりして。妨害は本当に許せないけど、そういう女の連帯が生まれたことは、すごく良かった。
村田:そうですね。
仁藤:パワーアップしたよね、Colaboが。若い女性だけで頑張っているColaboという感じだったのが、おばちゃんパワーの強さが加わった。迫力が違うんですよ。「どしっ」としていて、目だけで相手をビビらせるみたいな。そういうかっこいい女性像に、少女たちはあまり出会ったことないなかで、心強かった。
村田:おっしゃる通り、しんどい時期ではありつつも、女性同士の連帯がすごく強まった時期でもありましたね。
社会からの攻撃・妨害に屈しないための女性運動の拠点「女性人権センター」を建設します。
2030年の完成を目指し、現在寄付キャンペーンをおこなっています。「女性人権センター」設立に力を貸してください














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