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女性人権センター

Colaboでは今、「女性人権センター」建設を目指してご寄付の呼びかけをしています。
この対談では、Colabo代表の仁藤が女性人権センター建設に賛同する「1000人委員会」のメンバーと対談し、「なぜ今、女性人権センターが必要なのか」をテーマに、性差別の現状を見つめます。
第一回目のゲストは、田中優子さんです。
田中さんは江戸文化の研究者で、2014年には法政大学の総長に女性で初めて就任し、2021年まで活動されました。『週刊金曜日』の編集委員も務められています。2023年には「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」を立ち上げ、同じ時期にColaboの理事として活動に関わってくださるようになりました。
仁藤:田中さんにColaboの理事になっていただいたのは、Colaboに対する妨害が最も深刻な時期でした。どんな想いでColaboの役員になってくださったのでしょうか。
田中:仁藤さんにお目にかかったのは2023年の4月頃かな。私はその10年前から、ヘイトスピーチとレイジスムを乗り越える国際ネットワーク「のりこえネット」の共同代表をしていました。ヘイトスピーチや民族差別や女性差別など、今、分断や対立がどんどん起きているけど、それを乗り越えていくという運動をしてきました。そのつながりから、仁藤さんを紹介いただいて、Colaboがいろいろな攻撃をされていることも知っていたので、ぜひお会いしたいと思ってお会いしました。
その時、仁藤さんが活動の最初の頃からの話をものすごく丁寧に話してくださって、Colaboの活動が、妨害や暴力に晒されていかにひどい状態になっているのかということを聞いて、「こういう運動をしていると、このように攻撃されるのだ」ということ自体に本当に腹が立ちましたね。
ですから、理事になってくれないかとおっしゃってくださった時には、「ぜひ!」とその時に、すぐに決めたんですよ。
仁藤:その場で、「もちろんなります!」と言っていただいて。
田中:妨害されているグループということで、躊躇する人もいるかもしれませんけど、大事なのは、自分が不利な立場に置かれるかどうかではなくて、大事な活動をしている人達を支えられるかどうかですから。
仁藤:ありがとうございます。当時、Colaboに対するデマが深刻で、東京都もデマに怯えて妨害に屈して、妨害者にとっては成功体験になってしまって、さらに加害がひどくなるという時期に田中さんに入っていただいたんです。あの時期、マイノリティや、差別や暴力にさらされてきた経験のある方が痛みに共感し、Colaboに真っ先に連帯を表明してくれました。
仁藤:田中さんは役員になってから、Colaboの活動や、少女たちやスタッフと身近に触れてくださっていると思いますが、Colaboと関わるようになって見えてきたものや、感じることはありますか?
田中:一緒にColaboのスタッフ全員で行う合宿に行ったんですよ。Colaboの拠点に行ったり、合宿に一緒に行ったりしている中で、誰がスタッフで、誰が当事者かわからないんですよ。そういうふうに区別はしていないし、とにかく「一緒にいる」「一緒に闘っている」ということがとてもよくわかるんですね。そういうふうに中に入ってみると、なおさらColaboへの理解が深まったんです。
田中:それから、理事の方たちともお目にかかるようになった。理事の方たちは、私よりはるかに長い間、女性たちを支えてきた仕事をしている方たちばかりですよね。その中で、日本の「売春防止法」は買春行為を取り締まれないような法律ですから、「性売買禁止法」をちゃんと作らないと、女性の未来がないよなって思うようになっていて。そちらもすごく重要だから取り組んでいきたいと思うようになりました。
仁藤:今、日本では売春防止法という法律で、「体を売っている女性たちが悪い」「女性が社会の風紀を乱しているんだ」として、女性ばかりが捕まる。だけど、買う側と性売買業者の摘発は全然されないし、買う側に対する罰則は一切ない状況なんですよね。
仁藤:北欧諸国の一部やフランス、韓国などでは、性売買の中にいる女性たちが脱性売買できるように支えて、そして買う側と性売買業者を処罰の対象にしています。女性の人権が守られる社会にするためには、そういう法制定や支援が日本にも必要だと思っています。「買春禁止」の法制定に向けても一緒に頑張っていきたいです。
仁藤:Colaboの活動と、他の組織や団体との違いを感じるところはありますか?
田中:「支援」っていう言葉を使わないでしょう。それはすごく大事だと思うんですよね。少女たちを支援する公的な組織は、例えば女性相談センター、児童相談所とかいろいろありますよね。結局そういうところに行っても、ある程度の期間サポートしてくれた後、家に帰りなさいみたいなことを言われますよね。なぜかっていうと、日本はまだ家族主義なんですよ。だから家族福祉が基本でしょう。全部家で面倒みなさいっていう。
仁藤:児童相談所でも、家に何人子どもを帰したかで評価されることもあるし、家に戻れる方が彼女たちにとっては幸せなんだという価値観のもとで対応されることがあります。
田中:家にいられないから出てきたのに、また家に戻される。要するに支援施設と家の間を行ったり来たりして、そのうちその谷間に落ちちゃうっていうね。こういうことを繰り返している。そうすることで社会が平穏になるから、その平穏な状態を作ろうっていう考えがあるからだと思うんですよね。施設に入ってもスマホの使用禁止など、いろんなルールがあるでしょう。本当にいろんなルールがあって、それを守っていることが学校みたいになっている。
仁藤:起きる時間が決まっていたり、食事の時間に音楽が鳴って食堂に集合しなきゃいけなかったり、児童相談所の一時保護所などでは私物も持ち込めないところも多いです。私語禁止のルールがあって、それを破ると体育館を100周させていた一時保護所もあります。少年院に入った子が、少年院よりも児童相談所の方が嫌だったということは少なくありません。児童福祉の現場で、虐待されて保護された子を「非行少女」のように扱ったり、管理の対象としてみているという現状があると思います。
田中:ルールを守らせることによって「平穏」な社会を作ろうとしている。そこからはみ出しているから問題なのに、だから支えてやらないといけないのに、結果的にむしろ排除することになってしまう。Colaboはそういうところとは全く違います。
田中:民間団体でも、相談者に薬物を勧めるなど、かなりいい加減な対応をしているところが多くあることもわかってきた。また、性売買業者と繋がる「支援団体」もでてきた。Colaboがそういうところと一番違うのは関わりを作ることですよね。
仁藤:出会う女性たちと関係性を作れないまま、ただ声をかけて、泊めてあげて、役所に連れて行けばいいでしょうくらいに考えている民間団体も増えていて、危機感を持っています。
田中:支援する、黙らせる、ルールを守らせるんじゃなくて、人間関係ですよね。一緒にご飯を食べながら、どうでもいいようなことをしゃべるってすごく大事でしょう。人間社会の人間関係というか、当たり前の人間関係ね。
仁藤:Colaboでは、緊急的な相談や保護が必要な瞬間が、週に何度もあります。そういう時、「相談」対応をしようと思えば、「どうしたの?」「何があったの?」「大変だったね」って言って「保護してあげる」ってできるのかもしれないけど、Colaboの場合は、「とりあえず来なよ!今日なんか食べた?」みたいな。「お腹空いた」って言われたら、「とりあえず食べな!何が好き?」とか言って、そういうやり取りから始まって、まず食べながらお互いのことを知っていく。一見どうでもいいような話から関わりは始まっていきます。
田中:色んな質問をいきなりされたら追い詰められてしまうと思うんだけど、一緒にご飯食べながら雑談して、雑談しながらお互いのことを理解していく。「お姉さんはこういうことが好きなんだ」と、向こうが仁藤さんを理解するとかね。
仁藤:そこも相談機関とは違いますね。例えば相談窓口の人って、名札を下げていることがあるけど、その人がどんな人間で何が好きで、なぜそこにいて、どんな権限があるのかも何もわからない。そんな人にとにかく聞き出されるのが、既存の支援の在り方だと思います。
田中:それだと警察から尋問受けているみたいでしょう。Colaboはそれと全く違って、入り口のところから関係を作っていく。それが他の団体と全く違うんだと思います。
仁藤:Colaboでは、スタッフが「Colaboという組織の人」っていうよりもその一人一人の個性やキャラクターがあり、出会う少女たちにも「Colaboのスタッフさん」ではなく、それぞれが違う人として認識されているのも特徴だと思います。
田中:そうですよね。少女たちと同じような経験をしてきたスタッフも多いけれども、そうでない人も同じように関わりを持っているでしょう。私はいろんな団体で教育のこともやってきたけど、やっぱり一番大事なのは関係をつくっていくっていうことなんだっていうのが分かってくるんですよ。Colaboは社会の一番基本的なところを大事にしている。こんな組織、なかなかないと思っているんですよね。
仁藤:福祉の現場で「居場所支援」という言葉がよく使われますが、「居場所」とか「支援」はただ場所があるということではなく、関わりであり、関係性であるはずです。それが切り取られて、「関わり」っていうよりも、その場で何か提供して、それで終わりみたいな、そういう支援のあり方がすごく広がっていると感じています。
田中:緊急の時にも、「ああ、あの人ならこんなことでも相談に乗ってくれるかもしれない」と思うことができる。「この程度のことじゃ言ってもだめかな」という風に諦めないで済むじゃない。そういう関わりをしている、「一緒に」動いているのがColaboですよね。
仁藤:Colaboは、私たちが何かしてあげるとか、本人が何かしてくれるのを待つとかっていうよりも、「一緒に」動くっていうことをすごく大事にしていますね。
田中:そういうところは、他の組織と全然違うと思います。
仁藤:田中さん自身もColaboに来て、それを体現してくれていますよね。世の中では、肩書きで人が評価されることが多く、田中さんは、「先生、先生」って呼ばれるような立場だと思うんですけど、Colaboの合宿に来た時にも、気を遣わせない、むしろ気を遣わせたら嫌がるだろうなという様子で、先輩である田中さんが対等にあろうとする姿を見せてくれることは、私たちにとってもすごく嬉しいです。
大学の総長をされるなど、「偉く」なっていくと男らしくなっていく人って女性にも多いと思います。男らしさを身につけることで権力を手に入れていったり、男化していかないとやっていけない状況があり、それはその人個人のせいではないけれど、そういう人たちが社会にたくさんいる中で、そうではない生き様を田中さんが見せてくれています。
田中:もっとお友達にならないとね!
仁藤:田中さんは現在の女性差別をどう捉えていますか?
田中:私は江戸時代が専門分野だから、江戸時代がいかに役割社会かを実感しているんですね。その江戸時代から見ても、今の時代は「まだ役割社会なのね」と思います。江戸時代は、産む女性とそうではない女性に二分化して、「家を守る女性」と共に、遊郭にいる遊女たち、「性売買女性」がいる。それが公然と認められ、「ないと困る」とか「あって当然」みたいになっている。そこから現代を見ると、戦後に売春防止法も導入されて、性売買はなくてもいいはずなのに、あるでしょう。
仁藤:今でも「ないと困る」という価値観はありますよね。
田中:Colaboの活動を攻撃する背景には、「性売買がないと困る男性がいっぱいいるじゃないですか」という理屈があるんだと思うんですよ。なかったら困る、そんなはずはないんです。けれども、そういうふうに本人たちも思い込んでいるし、周りも思い込んでいるし、そのためには女性が犠牲になってもいいというふうに思っている。現代には「遊郭」が公然とないにしても、それでも価値観として、今でも構造的差別がはっきりとある。
そうした現実について #Metoo運動のように声を出すことによって、社会がこういう問題があったんだと気付いていく。
田中:それで本当に変わったのかというと、フジテレビの問題や、ジャニーズ問題が明らかになってきて、そうした加害を「性暴力」と表現するようになったぐらいには変わったけれど、法律上は特別変わっているわけではない。男女雇用機会均等法ができても格差がなくならず、未だに選択的夫婦別姓が通らない。その理由として「家族が壊れる」といわれるのも、男性が困るからだと思うんです。男性にとっての理想とする家族像や、女性像が壊されることに対する恐怖感がものすごくあって、それが差別構造を作っているんです。
そうすると、法律ができて、一つずつ乗り越えているように見えるのだけれども、基本のところの差別がなくならないので、法律がいくらできてもあまり変わらないような状態になってしまっている。そうすると、性売買禁止法、買春処罰法も相当攻撃を受けるだろうな、ということが予想されますよね。
仁藤:女性支援法が2022年の5月に成立した直後からColaboに対するデマが非常に深刻化しているんですね。女性支援の根拠法となる法律が2022年にできたというのは、世界的に見て遅すぎるんですが、厚労省の女性支援法の検討会の委員として私は性搾取の実態や、少女たちが性を買われなくても生きていけるようにしようということを訴えてきました。それに対するバッシングだったと思います。
市川房江さんが売春防止法の制定に関わっていた時にも、命の危険を感じたそうです。これから私たちが買春禁止や性売買禁止を打ち出していったときにも、ものすごい反発が来るだろうなと。でも、だからこそ、女性たちがつながって、差別や暴力の構造を見つめること、性搾取がいかに女性に対する人権侵害かということに対する理解を広めていくことがすごく大事だと思ってます。
田中:国連の女性差別撤廃委員会から日本は性売買の問題についても勧告を受けているけれど、政府は何もしない。世界的にも極めて悪質な女性差別がまだ残っているのが日本なんです。
仁藤:私も海外の方と話した時に「あの日本で活動されている方なんですね」と、言われることが多くあります。すごく過酷な状況のなかで頑張っている人として見られている。でも日本にいるとそれに慣れてしまう。
仁藤:「性売買は世界最古の仕事だ」と世界史の先生に教えられた女子高生から言われたこともあります。それはいかに女性差別が温存されてきたか。貧しい家庭の女性や、親や夫が亡くなった時に身体を売るしかなかった、性奴隷にさせられた女性がいたということなのに、それを女性の仕事だとか選択だと言って、構造的な暴力に目を向けないで、その構造を変えようとしないことがずっと続いていますよね。
田中:それが美談になることもあって、江戸時代の場合には親とか夫を助けるために借金をして、それを返すために自分が身を売るわけだから、「自己犠牲で家族のために頑張る、素晴らしい女性だ」とされて、それが自己認識にもなっていく。今だって、もしかしたらそういう自己認識を持っている女性がいると思います。
仁藤:ありますね。母親と一緒に体を売って父と弟との生活を支えている10代の子もいます。
田中:そういう構造的差別は、一人ひとりの女性が経験として持っていますよね。
仁藤:Colaboではそういうことを一つ一つ無視しないで、違和感をちゃんと言葉にすることや、怒っていいんだ、痛いことを痛いとか、やめてくれって言っていいんだっていうことを出会う少女たちにも感じてほしいと思っています。
(後編)「差別の中で耐えさせられてきた女性たちの連帯を」に続く(明日公開)
社会からの攻撃・妨害に屈しないための女性運動の拠点「女性人権センター」を建設します。
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