コラム
女性人権センター

Colaboでは今、「女性人権センター」建設を目指してご寄付の呼びかけをしています。
この対談では、趣旨に賛同する「1000人委員会」のメンバーとColabo代表の仁藤が、「なぜ今、女性人権センターが必要なのか」をテーマに、性差別の現状を見つめます。
仁藤: 田中さんにも「耐えることで生き延びるしかなかった」という経験はありますか?
田中:たくさんあります。だけど、そういうことをあまり意識してこなかったの。だから、のりこえねっとのYouTubeで仁藤さんたちがやっている、性加害する男性の問題を解説する番組『シリーズ キモいおじさん』 を見て、私がびっくりしたのは、「キモい」って使ったことがない言葉だなって。
仁藤:えー!
田中:でもこれ、すごく大事な言葉だなと思ったの。「キモい」という言葉で自分のことを思い返してみると、キモい経験いっぱいしているなと思ったの。仁藤さんの「キモいセンサー」はすごいなと思って。
仁藤:運動界隈とか、リベラルなおじさんたちにも、キモい人ってたくさんいて、活動を始めた頃とかも「若い女の子が頑張っている」とか「俺が育ててやった」って言いたいおじさんが寄って来ました。それも支配的な態度ですよね。女性人権センターは、シェルターやColaboの活動を行うだけではなく、若手活動家の活動拠点にしたいと思っています。
自分自身も若くて活動を始めたときに、近寄ってくるのがアドバイスしたがりおじさんみたいな人が多かったので、そういう人にニコニコしたり、ペコペコしたりしなくても、女性が新しい活動を始めたいと思ったときに、場所を借りられたり、実現のためのノウハウを共有できたり、自分一人だけではないと思える場所にしたいと思っています。
また、女性の人権活動をしていると、団体の代表住所に嫌がらせに来る人もいるので、安全のために、そういう団体の住所を置いてそこで手紙を受け取れるようにもしたい。うざい男に教えられるとかではなく、女性たちが集って痛みを分かち合いながら活動できる場にしたいと思っています。
田中:子どもの頃に路上で抱きすくめられたり、小学生の時バス通学で痴漢に遭っても、誰もそれを犯罪だと思っていなかったので被害に遭っても自分で防御するしかなかったりしました。大学院の入学試験の面接で、男の先生たちに最初に言われたことが「三食昼寝大学院つきだね、 ワッハッハー」って。三食昼寝ってわかる? 主婦を馬鹿にしている言葉です。旦那さんが一生懸命働いて、女性は食べさせてもらっているという意味。
仁藤:女は楽して、タダ飯食って家で寝てるだけだろみたいな。
田中:女はいいよね、みたいな。「三食昼寝」っていう言葉が存在してたんです。そこに付けたして「三食昼寝、大学院付きでいいね」と、面接官の有名教授が言って来た。その時には、私はこれで落ちたんだと思って、家に帰って号泣したけれども、考えてみればひどい。
仁藤: 悔しかった。
田中: 悔しかった。だけど、その時には言われて仕方がないのかもしれないと思ってたからね。その後、私は割と早く、28歳で大学の専任教員になったんです。そうしたら、すぐに立った噂が「教授の女だからだ」。もちろん事実ではありません。のちに、男性の同僚が噂を立てたことがわかった。そういう風に、「女だから」ってことで、いろんなことを言われてきました。私は今73歳だけど、その年齢の人にとっては、この差別の中で耐えなければいけない生活が普通だった。
仁藤:今でも、同じような話を、大学院生や若手の研究者から聞きます。すごいセクハラを受けたり業績を上げると色目をつかったんじゃないかと言われて研究を続けられなくなっている女性多いです。そういうなかでは、悔しかったっていう思いを経験しても、それを変えるために周りの人に共有することもできないですよね。
田中: できない。まず、話す相手がいない。ほとんど女性がいない職場なので、そんなことを言ったら噂を広められたり、もっとなにか言われるんじゃないかと思って、「どうでもいいから気にしない」となる。「キモい」も何もなく、とにかく「気にしない」と、封じてしまう感じかな。そのことについてはもう耳に入れない。私は知らない、忘れるみたいな。
仁藤: そうするしかなかったのですよね。
田中: もう一つ覚えているのは、 結婚した時に、名字の問題でペーパー離婚してるんですよ。その当時は通称も使えないから、名簿も何もかも就職した途端に変えなきゃならない ってことが分かったので、ペーパー離婚したんです。その時私はどういう気持ちだったか というと、夫と夫の両親に申し訳ないと思ったんです。嫁に行ったのに、こんなことしちゃっていいんだろうかみたいな感覚が私の中にあった。彼がまだ就職できていない中で自分が就職していることへの申し訳なさもあった。でも今になって考えると、そんな気持ちを抱かなくて良かったなって。
仁藤: 今のお話は、Colaboが出会っている少女たちとも通ずるなって思いましたね。
田中: 今でもそう?
仁藤: 性搾取の中にいたり、 虐待受けてきたりしている子たちは、「自分がこんなふうになっちゃって申し訳ない」と語ることがよくあります。被害を受けたり、差別や暴力のなかで弱い立場に置かれている人たちが、自分の権利を実現しようとしたり、自分の意志を持って生きようとした時に、それは良いことなのだろうかと思わされたり、悪いことだと思わされることは、今出会っている少女たちにもすごくよくあることです。
Colaboへのデマや妨害が深刻になったときに、私も先輩たちから「気にしないほうがいい」「流した方がいい」というアドバイスをかなり多く受けて、私もここで無視をするのか、立ち向かうのかがずっと考え続けてきたんです。だけど無視したら収まったかっていうと、かえって酷くなったんです。
田中:そうか。
仁藤:その結果、バスカフェで使用しているピンクのバスが切りつけられた。ここで抗わなかったらどんどん悪くなっていくし、少女たちの存在も嘲笑う対象として消費されていってしまうと思って、闘う姿を社会に見せる必要があると思って闘うことを選びました。
田中さんを含め、いろんな差別の中で生き抜いてきた多くの女性たちが連帯をしてくださっているけど、私がこうして闘えるのは、皆さんの連帯や、痛みが分かる人たちの共感があるからです。今もこうしてお話を聞くと、昔からの構造的な問題なんだなって、自分の経験と重ねて理解を深められる。それはこういうつながりがあるからできることで、それがない時代に、一人で闘わされてきた、耐えさせられてきた女性たちが、本当は悔しかった、嫌だった、痛かった、もっとこうしたかった、私はこんな思いをしたんだっていう、そういう経験や感情を押し殺さないで良い社会にしたい。私はもっと聞きたいなって思うし、そういう女の怒りが爆発したら、この社会は本当に変えられるし、それを恐れているから男は攻撃するんだなと思いました。
田中:選択的夫婦別姓が通らない問題も含めて、そういう経験を女性達はいろんな形で持っているんです。結婚とは何かという問題もあって、私は最終的には本当の離婚をしているんだけど、その時にも「この結婚生活を続けられないということは、私が結婚に合わないんだ」というふうに理解したわけ。夫は家事を全然しないなかで私がものすごく忙しくなって、離婚したので、私が結婚に合わないんだと思って、だから生涯結婚しないという理解になってしまった。協力的な関係を作れなかった私が悪いと思ってしまう。
仁藤:性売買のなかにいる女性達も、性差別がある社会構造のなかでそう思わされていることも、「自分が悪かったんだ」「私が悪かったんだ」と少女や女性たちが思い込まされている現状を変えたいです。
田中:自己責任論がますます強くなっているから、そうじゃなくて、これは社会の問題なんだってことを、女性同士が分かちあって一緒に闘わないといけない。
仁藤:本当にそう思います。今、声を上げる女性たちへの攻撃が強まっていることについては、どのように見ていますか。
田中:「女の壁」っていい言葉だなあと思っているんです。
仁藤:バスカフェへの妨害がひどくなったときに、性売買業者が雇った男性や迷惑系のYouTuberなどが嫌がらせに来たんです。バスの前で卑猥な言葉を叫んだり、「仁藤出て来い!」と言ったりしていた。その時、「俺たちがバスを守る!」みたいな感じで、カウンターとして差別に抗う活動をしている男性たちがきたんですけど、結局そこで、男同士のオラついた戦いみたいな感じになってしまったり、「女の子怖がってるから他でやろうな」みたいに言って妨害者をなだめようとするみたいなことがあって。バスカフェは、女たちが主体的に生きていくことを実践している場なのに、少女たちを弱いものとして守る対象として扱われたんです。それで私がおじさんたちに「来ないでください」と言ったんです。
その様子を見た女性たちが立ち上がって、「女の壁」を作ってくれたんです。私たちの活動に支障が出ないように、まさに壁になって、バスカフェで少女たちが自由に安心して過ごせるようにしてくれたんですよね。
田中:「女の壁」も一つの事例だけれども、一緒に闘うしかないんですよ。何かを「守る」とか「支援する」じゃなくて、「一緒に闘う」。一緒にご飯を食べるところから始まって、一緒に闘うところまで行く。それがずっと持続するというのがすごく大事なことでしょう。
構造的差別の中核に、女性が自己決定できないことがある。自分が間違っているんじゃないかと思ったり、自己決定を封じたり、誰かに決定してもらうことを女性がずっとやってきた。自分で決められるようになることや、自分ではねつけられるようになること、「キモい」がわかるようになること、そういうふうに女性がなっていくことが大事です。どんな世代の女性でも、変化できるんです。私は、かなりキモいセンサーが発達しましたからね。
これは自分のせいではなくて構造的差別の問題なんだと気付いていくことも闘いだし、「女の壁」のように物理的に一緒に立つことも闘いで、それをし続けることが大切です。女性人権センターが何なのかといったとき「一緒に闘う場所」だと思うんです。
仁藤:「女の壁」ができた頃も、最初は、男が「守る」と来たのに対して、女性たちが「自分たちが守る」と、守りたいっていう気持ちで集まってくれたんですが、長く関わっていくなかで、Colaboの活動を通して、Colaboと少女たちとの関係性、Colaboが築きたい関係性を理解してくれて、「守る」のではなく、「一緒に闘う」ということを考えてくれました。
支援団体でありがちな「少女のためにやってあげている」みたいな感じだと、関係性は対等ではありません。「女の壁」の中にも、少女たちと直接話したいとか、変に絡みに行ってしまう人がいたり、「あの子は目を見て挨拶ができた」と評価しようとする人がいたりもしました。私は挨拶ができることを必ずしもいいことだと思わないんです。大人の目線を常に気にしているから、誰かもわからない知らないおばさんにニコニコして「ありがとうございます!」と言ったりする。
田中:あーわかる。笑顔にしてなきゃみたいな感覚、女性にくっついちゃってる。
仁藤:そう!だからそういうことがあると、「それ評価しないで。それ買春者と同じだから」と先輩たちにも伝えます。一緒に活動するなかで、少女たちをこういう状況に追いやっている社会を変えるために、一緒に闘うこと、そのような構造を作っている事に対して自分の責任を自覚して、果たしていこうという認識に「女の壁」の皆さんもなってくれました。
田中:Colaboが行っているのは当事者運動ですよね。でも、それを単に当事者に仕事を与えることと勘違いしている団体もありますね。
仁藤:そうですね。Colaboは出会った少女たちが、いろんな場面で活動に参加し、主体的に関わっていますが、それはまずは生活の基盤をシェルターなどで整えて、関係性ができて、自分の経験を解釈して、構造的な問題だと認識した上で、Colaboの活動の意味を理解して、自分もこの社会を変えるために活動したいと考え始めたメンバーが一緒に活動したいといって立ち上がったことから始まりました。
Colaboが「当事者とともに」と言っているのを見て、勘違いした支援者たちが、最近、当事者に仕事をさせたり、声掛け要員として当事者をアウトリーチに使っていくようになっている。それが当事者のためになるんだと、勘違いして、まだ路上で体を売っている、家がない、信頼できる人がいない状態の若年女性に「スタッフにならない?」と声をかける団体が増えています。
支援団体が、対等な関係の在り方や、女性が主体的に自分の道を歩いて行けるというのがどういうことかを理解せずに、当事者をコントロールすればいいと思っているのだと思います。それでは、性売買業者とやっていることが同じです。
田中:当事者運動がどういうことなのかというのは、韓国で性売買女性の支援を20年に渡ってしてきたチョン・キョンスクさんが『玩月洞の女たち』 で書かれています。韓国では性売買防止法があり、買春者処罰が20年以上前にできている。でもその後も凄まじい闘いを韓国の女性たちは経験している。それを読んでわかることは、むしろ法律ができてからが始まりだったということ。
日本でも、女性人権センターを作るっていうことを目標に掲げたらば、そこからがまず闘いで、できても闘いで、もし新しい法律がうまくできても、闘いで。
田中・仁藤:ずっと闘いです。
仁藤:私たちは終わりのない闘いだと思ってるし、長い闘いになるだろうなっていう覚悟で活動をしています。私はよく、「なんで闘い続けられるんですか」と聞かれることがありますが、田中さんはどう答えますか?
田中:生きているからです。
仁藤:「でも、辛くないですか?」と言われる。
田中:一人で闘っていると辛いけど、一緒に闘っているから辛くない。女性同士がお互いに理解し合うこと、まさに「一緒に」何かをすることなんです。一緒に話す、食べる。少女たちとの関係だけではなくて、大人の女性たちもそうなんですね。みんなそれぞれの経験があって、それぞれの傷を持っていて、そのなかで一人一人が闘っている。その人たちが関係を持っていく、関わっていくことで一緒に闘えるようになる。女性たちと一緒にいて、いろんな話をしている方が、ずっと私は幸せなんですね。それは、共感できることがたくさんあるからじゃないかなと思うんです。同じ女性たちと一緒だったら闘えるなという気がする。
仁藤:私も「なんでこんなひどい目に遭ってもやり続けられるんですか」って聞かれたら、やっぱり一人じゃなかったから。皆さんの支えや関心、一緒に怒ってくれる、一緒に加害者たちのことを見つめてくれるということがあったから頑張れたなと思います。
今、女性に対するバッシングはひどくなっているし、政治も悪くなり、差別や排外主義が広がっている中で、女性が声をあげることを怖がらせるような雰囲気が作られていると思うんですよね。だからこそ、女性人権センターをまず、新宿・歌舞伎町に建設したいと思っていて、女性たちが集える場所を作る。そこをきかっけに全国に広げていくような動きを作っていきたいと思っています。
Colaboで活動していると、色々な人から、自分の被害経験について「外では理解してもらえない、話せないけどColaboでなら、Colaboに集っている人たちになら話せる」という声を聞きます。そういう痛みを分かち合える人って本当はいっぱいいるはずだから、女たちが妨害に怯えないで集えて、話せる場所を作って、連帯を作っていきたいと思っています。
仁藤:田中さんにも女性人権センター建設プロジェクトを広める「1000人委員会」のメンバーとして活動していただいていますが、設立に向けた思い、そして、差別や暴力をどう乗り越えていけばいいのか、最後にメッセージをお願いします。
田中:「諦めない」とメッセージを伝えたいですね。一緒に闘って、一つ一つの法律を作ることも諦めないし、法律を作ったからといってそれで解決はしないので、諦めない。一歩一歩、何らかのことが実現して行くけれども、それだけでは変わらないことを私たちは分かっているので、繋がりながら闘い続ける。一緒に何かを発見し続ける。学び続ける。それができる場所、その拠点がとても大事ですから、女性人権センターをぜひ作りたいと思います。 皆さん一緒に協力してください。一緒に作りましょう。一緒に闘いましょう。
仁藤:女性人権センターの設立には10億円が必要で、資金も集めなければならないけれど、お金だけじゃなくて、女性の人権が守られる社会に向けて、女性達が集ったり、痛みを共有して怒りを分かち合える場づくりが必要だという想いをみなさんとこのプロジェクトを通して共有していきたいと思っています。悔しい思いをしてきたのに、誰にも言えずに来た想いとか、痛みを女性たちが無視しなくてもいい社会を作っていきたいと思っています。
今日、田中さんのお話を聞いて、女性差別の構造について解像度が上がったし、40歳近く違う、違う時代を生きてきた2人がその時一緒にいなくても「わかる!」ってなるくらい、現状が変わっていないんだなと思いました。
痛みを経験してきた私たちには、現状を分かっているからこそ、変える力があるんだと思っています。これからの子どもたちにも、闘う大人たちの姿を見せたいし、その責任も私たち大人世代にあると思っているので、みなさんと連帯して、怯えないで闘うセンターを作りたいと思っています。これからも一緒に闘っていきましょう!
女性人権センターの設立に向けたご寄付を募っています。
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社会からの攻撃・妨害に屈しないための女性運動の拠点「女性人権センター」を建設します。
2030年の完成を目指し、現在寄付キャンペーンをおこなっています。「女性人権センター」設立に力を貸してください














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